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福岡地方裁判所 平成元年(行ウ)1号 判決

原告

重松良治

右訴訟代理人弁護士

春山九州男

右訴訟復代理人弁護士

高橋浩文

被告

福岡県知事

奥田八二

右指定代理人

福田孝昭

外四名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が原告に対し、昭和六一年一〇月一四日付をもってした原告の昭和六一年六月三〇日付温泉掘さく許可申請及び温泉動力装置許可申請を不許可とした各処分をいずれも取り消す。

第二事案の概要

一争いのない事実

1  原告は、昭和六一年六月三〇日、温泉をゆう出させる目的で自己所有の福岡市南区横手四丁目四二四番五の土地(以下「本件申請地」という。)を掘さくし、動力装置を設置するに当たり、被告に対して、それぞれ温泉法三条、八条に基づき、温泉掘さく許可及び温泉動力装置許可申請書を提出した。

2  被告は、同法四条に基づき、右各申請に対して、温泉掘さく許可申請については同年一〇月一四日付環掘第四九八号(〈書証番号略〉)において、「本件許可申請の掘さく場所は、既設泉源と近距離にあり、既存の温泉のゆう出量あるいは温度に影響を及ぼすおそれがあるため、温泉法第四条の規定に基づき不許可とするものである。」との理由で、また、温泉動力装置許可申請については同日付環動第二八一号(〈書証番号略〉)において、「温泉掘さく許可申請が不許可処分となったため」との理由で、いずれも不許可処分とした。

3  被告が、右温泉掘さく不許可処分(以下「本件不許可処分」という。)をした実質的な理由は、温泉法一九条一項、福岡県温泉審議会条例(〈書証番号略〉)に基づき設立された福岡県温泉審議会(以下「本件審議会」という。)が定めている福岡県温泉関係許可基準内規(〈書証番号略〉、以下「本件内規」という。)の第2の1によれば「今後の掘さく申請の許可にあたっては、既設の温泉から少なくとも裂罅泉地区は五〇メートル、流下泉地区は一〇〇メートル以上の距離をおくこと」と規定され、かつ、本件申請地である井尻地区は流下泉地区にあたるとされているので、同地区での新規の掘さく申請地は、既設の温泉から少なくとも一〇〇メートル以上の距離をおかねばならないところ、本件申請地は、同所より約六五メートルの距離にある同区横手四丁目四二〇番二の土地に、権利者九進住宅株式会社(以下「九進住宅」という。)の既設泉源(以下「本件既設泉源」という。)が存在したためである。

二争点

環動第二八一号(〈書証番号略〉)によると、本件温泉動力装置申請が不許可処分とされたのは、温泉掘さくが不許可処分とされたためであるから、結局、本件の争点は、温泉掘さく不許可処分(本件不許可処分)が取り消されるべきか否かに関する以下の各点に尽きる。

1  本件内規の違法性の有無

本件内規は、温泉法に基づく裁量の範囲内に属する基準といえるか否か。具体的には本件内規の目的、手段、形式の三つの観点からみた違法性の存否が争点となる。

(一) 本件内規の目的の違法性の有無

(原告の主張)

(1) 温泉法三条一項の趣旨は、温泉源そのものを保護することにあるのに対し、本件内規第2の1は、「温泉法の立法趣旨に基づき、既設温泉の保護を図るように考慮する。」と規定している上、既設温泉所有者については、制限距離内に既設泉源が存在しても例外的に新規掘さくを認めているのであるから、本件内規は、既設の泉源そのものの保護を目的とするものであり、その目的が法と齟齬しているから、本件内規は温泉法に基づく裁量の範囲を逸脱するものである。

(2) 本来、距離制限方式そのものが、一定地域内での新規権利者の参入を排除することによって既存の権利者の権益の保護を図ろうとする規制方式であるとされるものである。したがって、規制の目的たる公益との関連で既存権利者の権益を保護することが必要かつ合理的なものであることを要するとされている(最高裁昭和五〇年四月三〇日大法廷判決・民集二九巻四号五七二頁)ところ、このような合理性に乏しい温泉掘さくの許否についての審議基準として距離制限方式を採用すること自体が温泉法の趣旨にそぐわない。

(被告の主張)

本件審議会は、掘さく場所が近ければ相互に影響を及ぼすことが科学的経験的に実証されていることを踏まえ、既設温泉を保護することがひいてはその地域の温泉源の保護に資するとの理解から、掘さく内規に距離制限方式を採用したものであり、本件内規は既設泉源自体を保護しようとしたものではない。

(二) 本件内規の規制手段の違法性の有無

(原告の主張)

既設泉源が制限距離の範囲内に存在する場合であっても、温泉を採取する地層が同じ場合と異なる場合とでは既設泉源に与える影響は大きく違ってくるはずであるから、距離制限方式によると実際には温泉の新規掘さく、採取が既設泉源に対して影響を与えることがない場合においてまで、つまり、温泉法四条によると許可を与えなければならない場合にまで掘さくを制限することになる虞があり、本件内規による規制は温泉法の予定している範囲より広汎にわたるから同法に基づく裁量の範囲を逸脱するものである。

(被告の主張)

温泉法の趣旨を踏まえて、有限である当該地区の温泉源を保護するためには、既設泉源からの距離を基準として、新規掘さくを制限するという距離制限方式を採用することは必要かつ有効であるから、温泉法の予定していない広汎な規制とはいえない。

(三) 本件内規の形式自体の違法性の有無

(原告の主張)

温泉法が温泉の掘さく許可について、審議会の諮問を要求しているのは、審議会に事案の個別事情に応じた個別的実質的審査を要求する趣旨であるのに、本件内規では具体的個別的審査が不要となり、これを放棄した形式になっており、温泉法の右趣旨に適合しない違法な規定である。

(被告の主張)

本件審議会は、知事から諮問を受けた場合、適切妥当な決議、答申を迅速に行うべき権限を有するとともに責任を負っていること、許可不許可の判断につき客観的基準を設けることが公平の見地から好ましいこと、何らの基準も設けずに、申請の都度、審議会において温泉法四条に定める「公益を害する虞」の有無を審議判断することは、多大の労力と時間と費用を要し、事実上困難であるばかりでなく、その結論も恣意的となる虞のあること等の点に鑑みると、予め客観的基準を設け、これを適用してその許否を決する運用をすることは、その基準に合理性がある限り、何ら違法視されるものではないから、本件内規も審議基準として適法なものである。

2  審議過程における瑕疵の有無

次に、仮に本件内規が温泉法の裁量の範囲内であるとしても本件申請に対する審議において、本件審議会には、既設泉源の利用状況、利用見込みにつき、何ら具体的調査をすることなしに、形式的に本件内規を適用して不許可の決議、答申をした審議過程上の瑕疵があったか否かが争点となる。

(一) 本件内規に定める「既設の温泉」の意義につき、その解釈、適用を誤って審議し、決議、答申した瑕疵の有無

(原告の主張)

本件既設泉源は、許可以来一度も利用されておらず、また、近い将来にも利用計画のないものであるから、同泉源への影響は問題外であって、本件内規第2の1が距離制限の基点として定める「既設の温泉」に該当するものではないから、本件審議においては同内規を適用すべきではないはずである。それにもかかわらず、本件審議会は、本件既設泉源が「既設の温泉」に当たるものとして本件内規を適用しており、本件内規及び温泉法の解釈、適用を誤った瑕疵がある。

(被告の主張)

(1) いったん掘さく許可を受けた温泉源は、温泉法五条、六条による許可の取消しを受けない限り、有効に存続しているというべきであるところ、本件既設泉源は許可を取り消されていない以上保護されるべきであるから、右の「既設の温泉」に該当する。

(2) 仮に許可の取り消しがされていない既設泉源でも、全く利用されていない場合は「既設の温泉」に該当しないとするのを相当とするとしても、本件審議会において、原告の本件掘さく申請の審議がなされた当時、本件既設泉源の権利者である九進住宅は、本件既設泉源を利用する具体的計画を立て、その後、実際に本件既設泉源からマンションに給湯を行っており、本件既設泉源には本件審議の当時具体的な温泉利用計画が存在したのであるから、本件既設泉源は「既設の温泉」に該当し、被告は何ら本件内規及び温泉法の解釈、適用を誤っていない。

(二) 本件審議会が本件既設泉源の利用状況の具体的調査を怠った瑕疵の存否

(原告の主張)

本件審議会は、既設泉源の利用の有無、利用量等の実情、ひいては既設泉源が新規許可を阻止すべき程度のものであるかどうか等を具体的に調査し、判断すべき義務があるのに、これを怠り、その利用の有無を調査、考慮せず、単に制限距離内に掘さく許可を得ている既設泉源が存在するという事実だけで本件内規を形式的に適用しているのであるから、結局、本件審議会においては何ら実質的、具体的な審議がなされていない瑕疵が存在する。

(被告の主張)

本件審議会の事務局は、本件申請の後、三回にわたる現地調査を行い、泉源の状況や本件申請にかかる掘さく地点までの距離等を調査している。また、原告の本件掘さく及び動力装置許可の各申請(昭和六一年六月三〇日付)以前にも、本件既設泉源に関し、既に九進住宅から被告に対する動力装置許可申請(同年五月三〇日付)がされており、本件審議会の審議(同年九月二六日)以前に、これに伴う温泉利用計画書(同年八月二六日付)も提出されていたところ、本件審議会では、これを踏まえて、九進住宅からの右動力装置許可申請を本件各申請と併せて審議し、本件既設泉源が掘さく許可の取消しの対象(温泉法五条、六条)となるべき事情も存しないこと、本件各申請にかかる原告の掘さく地点は本件既設泉源から約六五メートルの距離にあり、本件内規に抵触することなどから本件各申請につき不許可相当とする決議をしたのであって、本件審議会は調査義務を怠っていない。

3  本件審議会の決議及び本件行政処分の憲法四一条、三一条違反の有無

(原告の主張)

本件審議会では、掘さく申請に対して、本件内規が規定する制限距離内に既設泉源が存在するという要件が認定されると直ちに掘さく申請不許可相当との決議がされ、また、運用上、特段の事情が存在しない限り、処分権者である同県知事は右温泉審議会の決議に拘束される。

したがって、実質上右要件が認定されたら直ちに掘さく禁止との効果を生じることとなるから、本件内規の規定の方式、効果としては法律と同様であり、かかる本件内規をこのような形で適用した本件審議会の決議は憲法四一条及び三一条に反する違法な決議であり、これを採用した本件不許可処分には重大な内容的瑕疵があって違法である。

(被告の主張)

温泉掘さくに関する国民の権利、自由の変動は、処分権者である都道府県知事の具体的な処分によって初めて生じるものであって、本件内規の定めやその適用に基づく本件審議会の決議、答申意見によって直ちに右変動が生じるものではないから、本件審議会の決議が憲法四一条、三一条に反する違法な決議とはいえないし、したがって知事がそれを受けて行政処分を行ったからといって違法な処分をしたものとはいえない。

4  本件処分のその他の手続的瑕疵について

(原告の主張)

本件審議会が許可不許可の決議をするに当たり、本件内規を公表、告知することに何の支障もなく、かつ、本件審議会は、本件内規の距離制限に該当すると掘さく不許可の決議をするのであるから、国民の予測可能性を担保するために本件内規を公表その他の方法で国民に告知し、また、原告の声を何らかの形で審議に反映させるという意味で聴聞の手続を採るべきであるのに、本件審議会は、右決議をするにつき、このような告知、聴聞の手続を欠いているから、同決議には適正手続の保障を定めた憲法三一条に違反する瑕疵があり、それを受けて行われた本件不許可処分も違法である(最高裁昭和四六年一〇月二八日第一小法廷判決・民集二五巻七号一〇三七頁)。

第三争点に対する判断

一争点1の(一)(本件内規の目的)について

1  まず、温泉法三条一項の許可制の目的について検討する。

土地の所有者は、本来的に、原則として自由にその所有地を掘さくでき、温泉を採取する権利を有するはずである(民法二〇六条、二〇七条参照)。それにもかかわらず、温泉法が、温泉の掘さくを都道府県知事の許可にかからしめ、自由な掘さくを制限した(三条一項)趣旨は、温泉の掘さくと利用をその土地の権利者の自由に放任すれば、たちまち濫掘と濫用の結果を生じ、泉源を荒廃させ、温泉地一帯の経済的基盤を失わせ、湯治などで温泉に来集する不特定多数の人々の利益を奪う虞があるので、温泉源を保護し、その利用の適正化を図るという公益的見地から出たものであって、既存の温泉井所有者の既得の利益を直接保護する趣旨から出たものではないことは原告主張のとおりである(最高裁昭和三三年七月一日第三小法廷判決・民集一二巻一一号一六一二頁、参議院厚生委員会会議録第一七号(〈書証番号略〉)同一八号(〈書証番号略〉)参照)。

2  ところで、本件内規の制定趣旨は、同内規がその第2の1において、「温泉法立法の趣旨に基づき、既設温泉の保護を図るように考慮する。」としていること、及び同項のただし書においては、既設温泉所有者は、たとえ制限距離の範囲内に他の既設泉源が存在しても、一定の条件の下に新規の掘さくをし得ることを認めていること(〈書証番号略〉)からすると、原告主張のように既設の温泉源の保護のみを目的としているものと考えられなくもない。

しかし、本件内規は、温泉法一九条、福岡県温泉審議会条例を受けて設立された本件審議会が、専門学者、学識経験者らによる地質構造の調査研究やそれまでの掘さく事例等の実態を踏まえて、地質学や流体工学等々の自然科学的観点、経験から、温泉源どうしが近距離にあれば相互に影響を及ぼし、その地区全体の温泉のゆう出量、温度、成分等に影響を及ぼす虞が大きく、その地区の温泉源が枯渇しかねないから、新規掘さくについては既設泉源から一定の距離を保つことを相当として定められたものであって(〈書証番号略〉、吹井五八項、安部三四項、山下一六九ないし一七二項)、必ずしも既設温泉所有者の既得利益の保護を直接の目的としているものではないと解される。

また、同内規は、前記距離制限に拘らず、既設温泉所有者に新規の掘さくを認めてはいるが、それらが新規掘さくのできる場合として「現に温泉旅館等の営業を営み、当該事業を維持するために、新たに掘さくを必要とするとき」との制限を設けているのであるから、右制限を条件とする右の新規掘さくは、結局は当該温泉地区の経済的基盤が維持され、来集する不特定多数人にとって従前どおりの温泉利用を可能とすることになり、本件内規の右の定めが1で述べた温泉法の趣旨に背馳するものとまでは解されない。しかも、右により新規の掘さくが認められる場合でも、温泉源の保護のために更に厳格な条件が定められている(〈書証番号略〉、①既設温泉の温度の低下または湯量の減少等により営業上支障を生じたものであること。②新たに温泉掘さくする地点が、当該事業を営む同一敷地内であり、かつ、他の既設の温泉(当該事業を営む同一敷地内における既設の温泉を除く。)からの距離が本文の基準(本件でいえば既設の泉源から一〇〇メートル以上の距離をおくこと)を満たすものであること。③新たに掘さくできる箇所数は、昭和五〇年一二月三一日現在において所有する既設の温泉のほかに一箇所とすること。④他の既設の温泉に影響を与えるおそれがないこと。)のであるから、本件内規が距離制限に拘らず温泉所有者にのみ新規掘さくを認めていることをもって、既設温泉所有者の既得利益の保護を目的とするものであると一概にはいえない。

3  また、原告は、最高裁昭和五〇年四月三〇日大法廷判決を引用しつつ、距離制限方式そのものが、一定地域内の新規権利者の参入を排除することによって既存権利者の権益の保護を図ろうとする規制方式であるとして、本件内規の目的は、その方式からして既存の権利者の権益を保護することにあると立論する。

しかし、距離制限方式自体が、一般的に、一定地域内の新規権利者の参入を排除することによって、既存権利者の権益の保護を図ろうとする規制方式であるとは限らないし、右判例も当然にそのような前提に立っているものとは思えない。温泉審議会が同会内部の審議基準として距離制限規定を定めようと、また、それ以外の規定を設けようと、それが温泉源の保護を目的とする合理的な審議基準である限り、温泉法の許容するところといわざるを得ないところ、前記のとおり、必ずしも距離制限規制方式がすなわち既存権利者の権益保護のための規制方式ということはできないから、採用された規制方式のみから判断して、本件内規が温泉法の趣旨に反すると即断することはできない。

4 以上によれば、確かに、本件内規第2の1の「既設温泉の保護を図るように考慮する」という文言がはなはだ不適切な措辞であることは否定できないものの、前記のとおり、既設泉源の保護が、その地区における温泉源全体を保護することに深く関連することを十分認識したうえで規定されているものと理解することが可能である。加えて、温泉源の保護のため、他の都道府県の温泉審議会においても、内規として距離制限規定を設けている例があること(吹井七〇項ないし七二項)をも考慮すると、本件内規が既存権利者の権益の保護を目的としているものと解するのは相当でなく、究極的には温泉源の保護を目的としているものと理解するのが相当である。

5 よって、本件内規の目的を実質的に考えると、それは、温泉源全体の保護を目的としたものであり、決して既設泉源の保護のみを、まして既設温泉所有者の既得利益の保護のみを目的としているものと解することはできないから、温泉法と本件内規の目的との間に齟齬はなく、主として右内規に従って本件答申がされ、これを受けてした県知事の本件処分が、その裁量権限を逸脱した違法なものとは解されない。したがって、この点に関する原告の主張は採用できない。

二争点1の(二)(本件内規の規制手段)について

次に、本件内規の採っている距離制限方式が、温泉法の予定していない広汎かつ不合理な規制手段であるのかどうかという点についてみるに、なるほど、既設泉源が制限距離内に存在しても、温泉を採取する地層が異なる場合等には、新規に温泉を掘さくしてそこから温泉を汲み上げても、その既設泉源に何ら影響を与えないことがあり得ることは、原告主張のとおりである。

しかし、近距離にある温泉源は同一の地層にあると一般的に推定されるし、同一の地層から温泉を採取することとなれば、そのゆう出量、温度、成分に影響を及ぼし、温泉源を枯渇させる虞があることが多いものと思われる。

また、右一で述べたとおり、本件内規が距離制限方式を採用したのは、専門家、学識経験者が、温泉源全体を保護するためには、新規掘さくについては既設泉源と一定の距離をおくことが地質学的流体力学的見地等から必要であると判断したことによったものであり、その制限距離が、一般的にみて合理的なものと考えられる以上、審議会内部の審議基準として距離制限方式を採用することをもって不必要に広汎な規制をしたものとはいうことはできない。

そして、本件内規に定める制限距離は、漠然と決められているわけではなく、実態調査に基づき、地質学等科学的見地から定められたものであって、裂罅泉地区では五〇メートル、流下泉地区では一〇〇メートルと、温泉の性質によってその規制距離を変える配慮をも示されているし、また、流下泉地区においてはその規制距離が当初一五〇メートルであったのを後に一〇〇メートルに短縮されており(吹井五八項、安部一五九項)、本件内規が土地の所有権者の権利を不必要に制限しないように配慮されていることが窺われる。現に事後的にではあるが、昭和六二年一〇月二七日に井尻温泉を現地調査した九州大学工学部山下明夫の証言及び報告書(〈書証番号略〉)によると、井尻温泉区を流下泉とすることは妥当なものであること、同地区の流下泉の場合、既設の泉源に対する影響半径は一二二メートル程度で、むしろ本件内規の制限距離は拡大されるべきであることが認められるから、本件内規が実質的にも、温泉源の保護に対する広汎かつ不合理な距離制限方式を採用しているとはいえない。

したがって、本件不許可処分が主として右内規に従った審議会の答申に依ったからといって、これをした県知事の処分に権限逸脱があったものとは解されない。

三争点1の(三)(本件内規の形式)について

1 温泉法が、温泉の掘さくの基準について法律で全国一律の規制を設けずに、それを都道府県知事の許可にかからしめた(温泉法三条一項)のは、日本各地の温泉は、その規模、形態、性質等様々であり、温泉を保護するうえでもそれらの個別的要素を考慮する必要があることから、法律によって全国一律に保護規制を定めることになじまないためである。

さらに知事に対し、その許可不許可処分に当たって、審議会の意見聴取義務を定めている(温泉法二〇条)のは、温泉の新規掘さくが、温泉のゆう出量、温度、成分に影響を及ぼすかどうかは高度に専門技術的事項に属するから、かかる専門家の委員で構成される温泉審議会の意見を聴取することによる知事の処分内容の適正化を意図してのものである。

2 そうすると、温泉掘さく申請に対する専門技術的観点から、当該掘さくが温泉源に影響を及ぼすかどうかという点についての答申が、主として温泉審議会に期待されることになる。

そこで、右影響の有無、程度について専門技術的観点からの完全な答申を求めるならば温泉掘さくの申請がなされる度に、個々の申請毎にボーリング、温泉源の地質調査等個別的実質的に各種調査を実施し、既設の泉源の温度、ゆう出量及び成分への影響等を専門家の鑑定に委ねる等の手続を実施したうえで、知事に答申することが望ましいということにもなろう。

しかし、それでは莫大な労力、時間、費用を要するため、現在の行政組織をもってしては事実上不可能もしくは著しく困難であるし、また行政処分の迅速性の要請にも明らかに反する(吹井五九項)ところ、前記のとおり、本件内規の距離制限規定は、過去の申請例を通じての経験、専門家、学識経験者らの従前の調査・研究の結果や意見に基づき、本件審議会において制定された地質学等専門技術的見地に基づく合理性のある審議基準であり、行政処分の迅速処理を考慮において、いわば過去の調査結果や研究の成果を集約化した、当該地区についてある程度普遍性をもった基準であるといえるから、予め設定されたかかる基準に従って影響の有無を判定することも許されるものというべきである。そして、本件審議会が本件内規を正しく適用したうえで決議、答申している場合には、それは厳密にはその都度個別的実質的にボーリング等地質学的調査を行ったものとはいえないとしても、専門技術的観点からの決議、答申として不足はないものといえる。

したがって、本件内規が正しく適用されている限りにおいて、温泉法に基づく裁量の範囲を逸脱するものではなく、その内規に準拠した答申及び処分が違法視されるものではないから、この点に関する原告の主張は理由のあるものではない。

四争点2の(一)(本件審議会における本件内規の適用、解釈)について

1  右に述べたように、本件内規は、目的、手段、形式の各点について温泉法に基づく裁量を逸脱するものではないから、本件審議会が、一つの、しかし最も有力な判定資料として本件内規を適用し、新規掘さく申請に対する許可不許可の決議をすることに特段の瑕疵はない。

しかし、温泉法及び本件内規の趣旨からすると、本件内規にいう「既設の温泉」とは、当該泉源が単に知事の掘さく等の許可処分を得ていさえすれば、それだけでこれに該当するというものではなく、許可以来全く利用されておらず、近い将来において利用される具体的な計画が一切認められない泉源は右既設温泉には当たらないものと解すべきことは原告主張のとおりである。なぜならば、そもそも、本件内規は、近距離の泉源どうしは相互に影響を及ぼし、温泉源を枯渇させる虞があるために新規掘さくを制限したのであるが、既設の泉源が全く利用されておらず、また近い将来においても利用する予定のないものである場合には、その既設泉源と新規掘さくを認めた場合の泉源とが相互に影響し合うという虞は存在せず、そのような場合にまで本件内規を適用することは新規掘さく者に対する所有権を不当に制限することになるからである。

右解釈を前提とすると、本件審議会における本件内規の適用に関して本件既設泉源の利用状況が問題となるので、以下この点について検討する。

2  本件既設泉源の利用状況について

証拠(〈書証番号略〉、証人瀬木)を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一) 瀬木孝壽(以下「瀬木」という。)は、昭和四四年七月四日、自己の所有する福岡市南区横手四丁目四二〇番一一号の土地の掘さく許可を得、さらに昭和四五年二月二六日動力装置設置許可を得て(以下「同所四二〇番一一号の泉源」を「一一号泉源」という。)、自己の経営する割烹旅館やマンションに給湯していた。

(二) 瀬木は、昭和五一年七月一〇日、不動産の売買、斡旋等を目的として、自己が代表取締役を務める九進住宅を設立した。同社は昭和五四年五月二一日、藤野奎助から本件既設泉源を含む前同所四二〇番二号の土地(2776.85平方メートル)を購入し、九進住宅は、昭和五四年一一月二七日、同土地の掘さく許可を受けたうえで、昭和五五年七月には本件既設泉源の掘さく工事を完了させた。その後、九進住宅は、右四二〇番二号の土地を分筆して同分筆後の同番二号を瀬木に売却し、さらに、瀬木はこれを分筆し、右泉源部分である現在の四二〇番二号(10.31平方メートル、本件既設泉源)のみを瀬木個人の所有としていた。

(三) 井尻付近のマンションに給湯する計画を立てた瀬木は、昭和五五年五月一日、温泉の給湯を目的とする株式会社九和住宅(以下「九和住宅」という。)との間で一一号泉源に関する温泉利用貸借契約を締結し(〈書証番号略〉)、さらに昭和五七年九月六日、九和住宅、有限会社正卓企業(以下「正卓企業」という。)及び瀬木の三者間で、「瀬木は九和住宅に対し一一号泉源から温泉を安定的に供給し、九和住宅は正卓企業に対して正卓企業が建設する施設(マンション)に一日八〇トンの給湯をする。」という温泉利用契約を締結した(〈書証番号略〉)。

その後、昭和六〇年一二月三日右契約は一部追加変更され(〈書証番号略〉)、さらに昭和六〇年一二月四日には正卓企業の契約上の地位が株式会社朝日住建(以下「朝日住建」という。)に譲渡された(〈書証番号略〉)。

しかし、右温泉利用契約を締結するに当たり、一一号泉源の湯量だけでは不足するので、瀬木は、本件泉源の温泉をいったん一一号泉源に設置されている給湯タンクに送ったうえでそこから一括して給湯しようと考え、一一号泉源と本件既設泉源とを給湯管でつなぐため、昭和五六年二月一九日、前同所四二〇番二四号の土地の所有者である大升工業株式会社と給湯管埋設のため地役権設定契約を締結し(〈書証番号略〉)、さらに、同日、同所四二〇番二三号の土地の所有者である井口食品株式会社と給湯管埋設契約を締結し(〈書証番号略〉)、昭和五八年に給湯管を埋設して両泉源をつなぎ、今日に至っている。

(四) 昭和六一年五月三一日には、九進住宅から本件既設泉源について動力装置許可申請がされ(〈書証番号略〉)、同年八月二六日には温泉利用計画書が提出され(〈書証番号略〉)、同年一〇月一三日に動力装置設置許可処分を受けた(〈書証番号略〉)。また、昭和六二年三月六日、前記のように昭和六〇年一二月四日に正卓企業から温泉利用権を譲り受けた朝日住建が、浴用として利用許可を受け(〈書証番号略〉)、現在一一号泉源と本件既設泉源からの温泉を併せて分譲マンション「朝日プラザ大橋南」に給湯している。

(五) 本件既設泉源の掘さく工事が昭和五五年七月には完了しているにもかかわらず、九進住宅が、本件泉源の動力装置設置許可申請をしたのが昭和六一年五月三〇日、朝日住建が温泉利用許可申請をしたのが昭和六二年三月四日と時期が大幅にずれているのは、予定していた分譲マンションの建設が大幅に遅れ、昭和六〇年一一月になってようやく「朝日プラザ大橋南」が建設される目処がたち、同年一二月二〇日になって建設着工されるに至ったからである。

以上の事実が認められる。

3 以上の事実からすると、原告が本件掘さくの申請をした昭和六一年六月三〇日及び本件掘さく申請に対する審議会が開かれた同年九月二六日には、本件既設泉源はまだ現実には利用されてはいなかったが、既にその時点で、本件既設泉源の温泉をいったん一一号泉源に設置されている給湯タンクに送ったうえで、そこから「朝日プラザ大橋南」に温泉を供給するという具体的な計画が存在したのであるから、本件既設泉源は近い将来に利用を予定されていたものであって、本件内規にいう「既設の温泉」源に当たるものというべきであり、結局、本件審議会が本件内規の適用、解釈を誤っているということはできない。

五争点2の(二)(本件審議会の調査義務の違反)について

1  本件審議会が、本件内規を適用するに当たっては、単に制限距離内に既に許可を受けた既設泉源が存在するか否かについての調査をするのみでは足りず、さらに、温泉法の趣旨に則り、その既設泉源の実態、実際の利用の有無、将来的な利用計画の有無等の実質的調査を踏まえたうえで本件内規を適用するべきことは原告の主張のとおりである。

また、本件審議会が答申をするに当たっては、必要な範囲で調査を尽くし、十分な審議をしなければならないことも審議会の性格上当然のことであって、本件審議会が、当然考慮すべき事項について必要な調査、審議を尽くすことなく本件内規を適用して、本件について不許可の決議、答申をしたような場合には、審議過程に重大な瑕疵があるといえるから、結局、本件不許可処分も違法性を帯びることがあり得ることになる。

そこで、以下、本件審議会の調査、審議の態様について判断する。

2  証拠(〈書証番号略〉、証人吹井、証人安部)を総合すれば、本件掘さく許可申請に際して、本件審議会の事務局は何度か現地調査を行い、本件申請地と本件既設泉源との距離、本件既設泉源の状況を調べたうえ、瀬木から本件既設泉源の利用計画を電話で聞いて確認し、昭和六一年九月二六日に本件審議会において本件許可申請が審議された際、その結果を本件審議会において説明していること、原告の申請内容、周囲の図面、地図が配付され、審議の資料となっていること、本件審議会は年二回しか開催されないため、本件に関する審議においては、九進住宅の本件既設泉源の動力装置許可申請に対する審議もされており、したがって、本件審議会の委員は、本件既設泉源が少なくとも近い将来には利用される計画があることを熟知していたことが認められる。これに、過去の審議における蓄積された資料や各委員の専門的知識等をもって本件申請が審議されたものと推測されるから本件審議においても不足なく審議されたであろうことが窺われるし、その結果においても妥当である(〈書証番号略〉、証人山下)から、右審議の過程に重大な瑕疵があったものとは解されない。

3  また、本件においては、本件審議会開催前に原告代理人から意見書、追加意見書が提出されており、そのような場合、右意見書についても検討することが望ましいことはいうまでもないところ、事務局の方から一応口頭で同意見が存在する旨の説明がなされ(証人安部一〇五項)、これをも考慮に入れて本件決議、答申がされたものと窺われるから、この点に関して、審議会に調査義務、審議義務に違反するといった瑕疵があるとはいえない。

4  なお、原告は最終準備書面において、本件審議会の審議過程においては、審議会に提出された資料、考慮すべき要素及び考慮すべきでない要素、反対派の意見の斟酌、代替案等の各検討を欠いた等々の瑕疵をるる主張している。

しかし、原告の本件審議過程の瑕疵の主張は抽象的一般的指摘に止まり、具体的違法性の主張が十分でないものもあり、また、それらには必ずしも本件処分を取り消しうる程の違法事由までは認められない。

5  以上によれば、本件申請に対しての本件審議会での審議は完璧なものとまではいえないとしても、一応の審議が尽くされており、その決議、答申ひいては本件不許可処分を違法とするほどの調査義務、審議義務違反があるものとまでは認められず、この点に関する原告の主張も理由がない。

六争点3(憲法四一条、三一条違反)について

本件内規は、単に審議会が自ら決めた同会内部の審議基準に過ぎず(審議会は、自らいつでも自由に変更し得る。)、知事に対しては、知事が従前本件内規を適用した審議会の答申に原則として従ってきたことによる事実上の拘束力以上の効力を有するものではない。したがって、本件審議会が本件内規を適用して不許可の決議をしたことで直ちに申請者の土地の所有権が制限されるというものではない。すなわち、同審議会はいわゆる参与機関であり、その決議、答申が知事の処分権限を制限し、拘束するという関係になく、処分権者である知事が右答申を受けて具体的に不許可処分をすることによって初めて申請者の所有権が制限されるのである。また、そもそも本件内規の距離制限を県条例等で規定している場合はともかくとして、単にこれが内規として存するに止まる場合には、知事は、許可不許可の処分をするに当たり、専門技術的な事柄については審議会の決議、答申を尊重し、これに従うなど知事の受ける事実上、運用上の拘束性の問題はあるとしても、法律上は必ずしも右決議、答申に拘束されることなく、利害関係人の調整その他公益的見地等を加味して、より高度の立場から許可不許可処分をすることができるのであるから、本件審議会の決議が、国民の権利を直接制限するものということはできない。

よって、本件決議は憲法四一条、三一条に違反するものではなく、この点に関する原告の主張には理由がない。

七争点4(手続的瑕疵)について

1  原告は本件において、本件内規の告知や申請人としての聴聞の手続を受けることが原告の法的利益として保障されている旨主張する。

この点、温泉法二一条はいったん与えた許可を取り消す場合(六条)等既設泉源の利用者の権利を制限する場合においては、都道府県知事に公開による聴聞を義務づけているが、本件にように掘さくを許可する場合(四条)には、公開による聴聞手続を義務づけておらず、審議会における審査基準を公表すべしとする規定もない。したがって、告知、聴聞手続を欠いたとしてもこれをもって違法であるとはいえない。

確かに原告が引用する最高裁昭和四六年一〇月二八日第一小法廷判決は、個人タクシー事業免許の許否処分に関して、審査基準の内容が微妙、高度の認定を要するようなものである等の場合には、右基準を適用するうえで必要とされる事項について、申請人に対し、その主張と証拠の提出の機会を与えねばならず、免許の申請人はこのような公正な手続によって免許の許否につき判定を受くべき法的利益を有し、右利益の侵害は当該処分の違法事由となる旨判示している。しかし、右の事例は、一度に多数の申請者のうちから少数特定の者を具体的個別的事実関係に基づいて選択し、免許の許否を決しようとする事例であって、本件とは事例を異にする。

すなわち、かかる事例においては、行政庁の恣意、独断が疑われ易く、申請者の公正かつ合理的な手続を受けるべき法的利益の要請が強く、その利益保護の手段としての基準の告知、聴聞手続が要求されることは理解するに難くないが、このような懸念のないような場合には、基準自体の告知、公表、又は申請者に対する聴聞まで行政庁に義務づけられると解することはできず、本件においては、必ずしも原告に告知、聴聞手続を受ける法的利益まで保障されているものとは解されない。

そして、その他に本件審議会の審議手続が不公正、不合理になされたことを認めうる証拠は何ら存在しない。

よって、本件審議会には手続的瑕疵は認められないから、この点に関する原告の主張も認められない。

第四結論

以上述べたとおり、被告が原告に対し、昭和六一年一〇月一四日付でなした温泉掘さく不許可処分に違法はないから、同日付動力装置不許可処分にも違法はないものと解される。

よって、原告の本訴各請求は理由がなく、いずれも棄却するのが相当である。

(裁判長裁判官川本隆 裁判官川神裕 裁判官阿部哲茂)

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